音楽。それに限界を求めるのも間違っているような気がしないでもないのですが、ここでは少しそれについて述べようかと思います。音楽は無限の可能性がある。と言われがちですが、そこに存在するのは限りなく広い有限の可能性であると私は考えています。何故、有限の可能性であるのか。確かに、音楽は奏法、形式、形態、楽器、音、声、言葉などなど、さまざまな表現方法が存在しています。ですが、それぞれに限界というものはやはり存在しています。
さて、何故それだけの表現方法がありながら、音楽を有限の表現方法だとしたのか。やはりそれには、人を選ぶというのが大きいと思います。万人に受けるような曲を作ったとしても、そこには極端なオリジナリティは存在せず、使い古されたオリジナリティが存在するだけです。逆に万人に受けない曲を作ったとして、そこに使い古されたオリジナリティは少なく、極端なオリジナリティが多く存在しています。昔の作曲家にも、当時受け入れられず今受け入れられている。そんな人間もいます。さて、これを限界と表現するのは違うという方もいるでしょうが、私はこれこそが音楽の無限の可能性を有限にしている原因ではないかと考えています。
異端な物を排除しようとするのはいつの世も変わらない人間の性ではありますが、芸術分野においてはそれが極端に出ているようにも感じられます。万人受けしない物を好きな人間が異端であるのは間違いはないのでしょうが、しかし、そこにそれを否定し、その音楽そのものを否定する必要性があるのでしょうか。数多の表現方法を持っている音楽と言う分野において、それを駆使することを違う。という必要性がどこにあるのでしょうか。やはり、それらを否定する人間がいる限り、音楽は有限であり、無限の可能性を秘めた有限の物であるのだろうと思います。